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シュレーディンガーの猫の誤謬

2013/07/19

みなさんは「シュレーディンガーの猫」という哲学的な問題をご存じだろうか?

詳しくはWikipediaやニコニコ大百科を参照していただきたいが、簡単に言えば

「箱の中に猫と毒薬を入れてしばらく置くと、猫が生きているのか死んでいるのかわからない」

という問題である。

今朝、洗濯物を干しながらフト気がついたことだけど、この一見理解しがたい問題の背景には、根本的な間違いがありそうだ。

というのは、そこには「主体(=観測者、語り手)」が存在していないからだ。

自分が思うに、この世界は「語り手」が思った方向に動く。特に、ある問題が「どっちが起こったとしてもいいや」と思えるほど微妙な問題の場合には。

つまり、シュレーディンガーの猫は、生きているかも知れないし、死んでいるかも知れない。

それが、観測者から不明なのは、「観測者にとって、猫がどうでもいい存在である場合」だけだ。

もしここで、観測者が(たとえば、その猫が自分の愛するネコだったときを想像してみよう)、その猫の生存を強く願ったとすると、その猫は*必ず*生きている。

逆に、いつもウザいと思っている近所の猫だったら、その猫は*必ず*死んでいる。

こういう解釈はできないだろうか?

という疑問を提示しておいて、僕は洗濯を干すのに戻ろうと思うのです。

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