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【自動】2014年のまとめ

2014/12/30

WordPress.com 統計チームは、2014年のあなたのブログの年間まとめレポートを用意しました。

概要はこちらです。

シドニーにあるオペラハウスのコンサートホールには2,700人が収容できます。2014年にこのブログは約9,300回表示されました。オペラハウスのコンサート3回分になります。

レポートをすべて見るにはクリックしてください。

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プチ食洗を導入しました

2014/08/07

最近自炊を楽しんでいるのですが、面倒なのが食べた後の洗い物。これをなんとかすべく、少人数用の食器洗い乾燥機を購入しました。

この市場はほぼパナソニック一択なんですね。選んだのは昨年秋発売の最新モデル、NP-TCM2。新品で3万2千円ほどですが、ヤフオクを使って2万3千円で入手しました。

今回は自分で設置したので、その顛末を記録しておきます。

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本とのお別れ

2014/06/16

僕を育ててくれた本たちとお別れします。
形はなくなっても、心はちゃんと(スキャンデータとして)とってあるからね。
今までありがとう。
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Facebook誕生日メッセージへのお返事

2014/06/07

ずいぶん久しぶりになってしまいました。
みなさま、変わらず元気でお過ごしでしょうか。

たくさんのタイムラインへの誕生日祝いの投稿や直接のメッセージ、ほんとうに嬉しく思っています。
ありがとうございましたm(_ _)m
本来であればそれぞれの投稿にコメントを返させていただくのが当然ですが、訳あってこのような形でお返事させていただきます。

ずっと近況をアップデートしておらず、ご心配いただいている方もいるかもしれません。特に、連絡いただいてたのにお返事をさし上げることができなかった方々には、申し訳ありませんでした。今日久しぶりに書き込みを行うということで、ご報告したいことも色々とあるのですが、なかなか言葉にまとまらず……。いまのところは「元気に生活している」ということをお伝えすることに留めさせてください。これまでのことについても、そのうちみなさんにお話しできる機会があるかと思います。

仕事のほうは相変わらず本づくりで、昨年は働き始めて最初に携わった本がやっと形になりました。
今は次の本にとりかかっていて、毎日忙しく働いております。

さて、今日で31歳を迎えたわけですが、この1年の抱負は「波を小さく」としておきたいと思います。まずは体調を崩さずにやるべき仕事をしっかりとこなし、そして余裕があればみなさんとの旧交を温めたいな、と考えています。食事や色々な集まりなど、ぜひ声を掛けていただければ嬉しいです。全てにお応えすることはできないと思いますが……。

最後になりましたが、家族や職場の同僚、そしてみなさま友人の支えがあって今の僕があるのだな、ということを、最近改めて実感しています。ゆっくりと長い目で見守って下さる方々には感謝してもしきれません。時間がかかるかもしれませんが、必ず恩返しができるよう、いい1年にしていきます。

それでは。

2014年6月7日、31歳の誕生日に
岸野敦志

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2012年4月26日のメモ

2013/07/21

タイトル:これから先のことについて考えていること

  • 世間との関係
    • すぐかそのうちか分からないけど、親は死ぬ。その時の葬式をきっちりしたい。
    • ばあちゃんはもっと近いはず。現状で出られるか?親戚の目。
  • 人が怖い
    • 特に輝いている人が怖い。親切にしてくれる人が怖い。
      • 人に頼れない。全て自分で抱えようとする。
    • 期待してくれる人の期待を裏切ることに鈍感すぎる。
      • このままじゃみんなに見放される。
    • 人懐っこさって重要っぽい?
      • 仕事上というより、生きていくとき全般に、うまくやってる人のほうが楽しんでるかも。
  • お金
    • そんなにお金のためにガツガツはしたくない。
    • でも、何年かごとにMacやスノーボードを買い換えたり、ゆくゆくは車を持ったりしたい。
  • 能力
    • 自分に能力があるのか怪しくなってきた。
  • やり続ける力
    • これは、いまのところ、ない。
  • 海外
    • 海外に行けば変われる?
      • 結局、変わろうという積極性がないとダメ?

シュレーディンガーの猫の誤謬

2013/07/19

みなさんは「シュレーディンガーの猫」という哲学的な問題をご存じだろうか?

詳しくはWikipediaやニコニコ大百科を参照していただきたいが、簡単に言えば

「箱の中に猫と毒薬を入れてしばらく置くと、猫が生きているのか死んでいるのかわからない」

という問題である。

今朝、洗濯物を干しながらフト気がついたことだけど、この一見理解しがたい問題の背景には、根本的な間違いがありそうだ。

というのは、そこには「主体(=観測者、語り手)」が存在していないからだ。

自分が思うに、この世界は「語り手」が思った方向に動く。特に、ある問題が「どっちが起こったとしてもいいや」と思えるほど微妙な問題の場合には。

つまり、シュレーディンガーの猫は、生きているかも知れないし、死んでいるかも知れない。

それが、観測者から不明なのは、「観測者にとって、猫がどうでもいい存在である場合」だけだ。

もしここで、観測者が(たとえば、その猫が自分の愛するネコだったときを想像してみよう)、その猫の生存を強く願ったとすると、その猫は*必ず*生きている。

逆に、いつもウザいと思っている近所の猫だったら、その猫は*必ず*死んでいる。

こういう解釈はできないだろうか?

という疑問を提示しておいて、僕は洗濯を干すのに戻ろうと思うのです。

現代版・春はようよう

2013/07/01

現代の清少納言は慶大生だったらしい(ry

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